"何もない"秋田と人・モノ・情報あふれる東京の比較でみえたこと

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12月1日~4日にかけて、人生で初めて秋田に行ってきました。

秋田に熱い友人のことを、以前に記事でご紹介しました。 

blog.spring33.com

 

今回、彼女の活動を応援するために、秋田へ行ってまいりました。

 

「何もないから」という言葉

 

「秋田には何もないから」
秋田県民の方がよくおっしゃる言葉です。

 

「東京には何もないから」
この言葉は、絶対に言わないですよね。

「東京には何でもあるから」
こちらは、とてもよく使う言葉です。

 

私は地元が三重県ですから、地方の実態はわかります。

 

それでも、「何もないから」と言う背景には、人口減少率・出生率・死亡率・高齢化率・婚姻率・がん死亡率・うつ自殺・最低賃金・地価・年間日照時間などなど、さまざまなワースト1を取っていることが、関連していると思います。

 

私が行ったときには、晴れの日が多かったのですが、地元の人とお話すると、やはり基本的に曇りの日が多く、冬の雪は本当に厳しいそうです。

 

何もないことは、悪いこと?

 

実際に行ってみて、秋田には何もないかというと、決してそうではありませんでした。

 

食べ物はどれもおいしく、空気も水もおいしく、みなさんいい人でした。

 

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↑ 食べすぎ注意

 

何より、前回の唐松神社の記事でも書きましたが、とても澄んだ雰囲気を感じたんです。

人間本来の力が発揮できるのは、このような環境なのではないかと思いました。

 

何もないと言えることの本質

 

私はふと、何もない境地って、とても日本人らしいなと思いました。

 

日本は、自然環境が厳しい国です。災害も多い。どれだけ作り上げたものでも、災害により一瞬で破壊されることを、何度も何度も経験しています。

だから、人間は決して奢ってはいけないことを、無意識で深く感じています。そして、そのたびに、地域の人で力をあわせて復興してきました。

 

自然環境による影響だけではありません。歴史もそうです。

江戸時代の末期、黒船の襲来によって世界を知った日本は、それまでの武士社会を自ら壊し、明治維新を成し遂げました。そこから数十年で、ロシア中国に勝つほどの進歩を経験しました。

 

第二次世界大戦では、大空襲の焼夷弾や原爆により焼け野原になった後、力をあわせて団結し、世界も驚く早さで復興しました。

 

その後、製造業で世界を巻き込み躍進し、頂点がみえかけたところで、バブル崩壊がおき、また、失われた30年に入りましたが、今もなお経済大国世界第3位を保っています。

 

日本人の粘りづよさたくましさは、何もなくなったところからの底力と創造力から来るものだと感じます。

 

だから「何もない」と言える秋田の人は、本当は団結力あるとても強い方たちなのではないかと思ったのです。

 

首都圏暮らしで身につけにくい力とは

 

冒頭にも書きましたが、東京には、本当に何でもあります。

日本各地のものばかりでなく、世界の有名店さえもあります。

人もとても多く、今は発信時代なので、有名な経営者に直接会うことも難しくありません。

自分なりに活動している人がとても多く、あらゆる情報知識へのアクセスもしやすい。

 

一見、よいことのように思いませんか?

 

この「有るもの」だらけということが、大きな罠なのです。

 

いくら情報を得たとしても、整理する基準をもっていなければ、情報に踊らされるだけ。

そして実は、知識が増えれば増えるほど、知っている自分(相手)と、知らない相手(自分)を相対比較しやすいのです。

 

何もない感覚を、非常に持ちにくいのが東京だと感じました。

 

でもみんなそろそろ気づいているはず。情報が多すぎて、一体なにを基準にどうやって生きていけばいいの?という問いを。

 

本当の日本人らしさを生かすには

 

秋田にふれて感じた日本人の本当の強さ。

それをもっともっと生かして、人・モノ・情報あふれる東京で生き抜いていきたいと、私は思いました。それが、この旅一番の気づきです。

 

本来の日本の和心に通じる、究極のゼロベース志向とは何かを伝えている技術が、nTech(認識技術)です。

 

興味のある方は、お問い合わせくださいね。

 

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お読みいただきありがとうございました。

   

Written by
チームワークコンサルタントmiwa