父から母への腎移植が無事に終わりました②
指定難病・多発性嚢胞腎である母に、父の腎臓を片方、移植しました。
先日、手術が無事に終わりました。おかげさまで経過も順調です。
普段は、セッションなど、相手の観点を確認する仕事をしている私です。
手術の数日間、父と母の言動に触れながら、いろいろと衝撃的なことがありました。
今回は、心理面について、書いていきます。
1000%私の言うことは聞かないから。
これは、手術前説明のときに、母が父に対して言った言葉です。
退院後のアルコール制限について、執刀医から父に要請したときのこと。
「ご家族も見張っていてくださいね」とお医者さんが言ったとき、母はこのように言いました。
「1000%私の言うことは聞かないから。娘か息子に言ってもらいます。」
いっせんパーセント。
1000%って、普通使わない強い表現ですよね。
そうか、母は、<自分が父を変えられることはない>と心の底から思っているんだな、と感じました。
1年半長かった。
この言葉も、少なくとも3回は聞きました。
父がドナーになり、生体移植の準備を開始したのが、1年半前です。
父は、本当に自由奔放な人です。
やりたいことはやるけど、やりたくないことは徹底的にやらない。
実際に、数値を整えるために始めたはずのダイエットも、やったりやらなかったり。アルコールも、たいして減らしていない時期が長かったです。
前述の言葉とあわせると、母はずっと
「この人は、私のために、生活習慣を変えてくれるのだろうか??」
と、悪くなる自分の腎臓を片目に、ずっと不信を抱えていたことが伝わります。
なぜそこまで不信をするのか。
以前も書きましたが、母と父は一度、父の浮気のため離婚しています。そして、5年後、急に父が帰ってきて、元通りになりました。
その出来事について、母はどう思っているんだろうか。
私は、ずっと、母に聞けずにいました。その答えが、やっとわかりました。
手術後の第一声
8時間にも及ぶ手術が終わって、麻酔が覚めたとき。
父と母は、別の個室にいました。
母は、意識が朦朧とするなかで、私にこう言いました。
「お父さんに『恨んだときもあったけど、腎臓をくれてありがとう』と伝えて」
これが、母の本音だったんでしょう。
恨んだときもあった=過去の出来事がずっと頭のなかにあった、ということだと思います。
過去の強烈な出来事を消すことは、そう簡単なことではありません。
言いたくても言えなかった本音。30年分の思いが、腎臓の病気と言う形で現象化したのではないだろうか。
私は母の人生を思い、胸がとても苦しくなりました。
東京に帰ってきてからも、このことは私の頭の中にぐるぐる回り続け、「人の人生とは一体なんなのだろうか」と問い続けます。
そして、私は、衝撃の大発見に出会うこととなります。
次回に続きます。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa