亡くなった友人の命日に想うこと
2002年11月29日、中学校からの大切な友人が、亡くなった。
享年21歳。若すぎた。
胃がんだった。
地元を離れていた私は、彼女に最期に会ったのは、その年の夏休み。
病名がわかったときには、すでに末期だったため、家族は本人に病名を伏せていた。
最期に会った彼女は「この前まで入院してたんだよ~。検査とか結構大変だったんだ~。」といつものように明るく笑っていた。
見つかった時点で、余命3ヶ月。せめて余命を楽しく生きるためにと、退院したところで私は会ったのだ。
私は、まったく気づかなかった。確かにぽっちゃりしていた彼女が、少し痩せていた。赤と白のチェックのワンピースがよく似合っていた。
彼女と私が出会ったのは、中学校のときだ。
2年生のクラスでいじめられていた私を、クラス替えのときに、学校側が配慮してくれたのであろう。3年生のクラスは、驚くほど平穏だった。
そこで、同じグループで仲良くなったのが彼女だった。
彼女は少女マンガが好きだった。特に花とゆめコミックスが好きだった。彼女の家にはたくさんマンガがあって、放課後によく読みに遊びに行っていた。
別々の高校に分かれてからも、定期的に会っていた。私が大学で地元を離れたあとも、帰ったときには会っていた。
でも、ずっと連絡を取り合っていたわけではない。
親友かと言われれば、そこまで腹を割って語り合った記憶もなく、仲のよい友達というのがふさわしい。
彼女が亡くなった第一報は、地元に残る共通の友だちからの電話だった。絶句した。わけがわからなかった。
大学3年生だった私は、ちょうど就職活動が始まるころ。一番最初の会社説明会を欠席し、お通夜とお葬式のために、地元に戻った。
お棺にいた彼女は、とても穏やかな笑みを浮かべていて、もともととても肌が白かったので、寝顔のようだった。
離婚して離れて住んでいた彼女の母親が、泣き崩れていた。
よくわからないままお通夜を過ごし、次の日もお葬式に参列した。
疎遠だった同級生も何人か来ていて、「胃がんだったらしいね」「いつからだったんだろうね」などと、軽い口調で話しかけてくる。
しばらくは愛想笑いで対応していたが、いよいよ出棺になったときには、涙があふれて止まらなくなった。
話しかけていた同級生は、私の姿を見て「…元気でね。」と、そそくさといなくなった。
家族のご厚意で、火葬場にまで行かせてもらった。
そこで、同い年の友人の骨を拾うという、体験をした。
その前の年、祖父母が相次いで亡くなっていたため、骨を拾うのは初めてではなかった。
年老いて亡くなった人の骨と、若くして亡くなった人の骨が、いかに違うことか。
大きさも、もろさも、まったく違っていた。骨壷に入らないくらいの骨の量。若くして死ぬことがどういうことなのかを、思い知らされた。
それからの私は、何年にも渡って、ずっと考えていた。
なぜ、彼女は死んだのか
なぜ、私は生きているのか
私が生かされている意味は、何なのか
何の理由があって、彼女が死んだのか
彼女より私が選ばれたとは思いたくないけれど、
それなら、なぜ私は生きているのか
命日がめぐってくるたびに、その問いが思い出された。
だんだん彼女との記憶がおぼろげになり
それでも、その問いだけが私に残り続けた
13年後、干支も一回りしたあとで、私は、ある出会いによって、その問いに対する答えを、知ることとなる。
生きている意味は、あるようでもあり、ないようでもある
あらゆるものの意味や価値は、あるともいえるし、ないともいえる
意味づけは、何にでもできるし、その裏には、何にもなれないがある
真実は、無意味・無価値であり無境界線であり無限でありとどまることをしらない
彼女を存在させ、問いを存在させ、そのストーリーを存在させているのは、”わたし”である
あの問いから解放されたとき、
まぎれもなく第2の人生がはじまった
今日は11月29日、彼女の命日
記憶があるから、彼女と会える
日付があるから、1年に1度思い出せる
時間があるから、あれから16年間の変化を感じられる
重力があるから、生きていると実感できる
すべては、人がつくりだす美しい錯覚
ともちゃん本当にありがとう
今こうやって書くことができて、嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
メッセージはこちらまで
*CONTACT*
Written by
チームワークコンサルタントmiwa