映画『君の名は。』は宇宙の外からホログラムを結ぶお話。
大ヒット中の映画「君の名は。」を先日やっと見てきました!
率直にとてもとてもとても感動しました。。。
私が感動した場面を語ってみたいと思います。監督の意図と合っているかはわからないですが、一観客の意見として聞いていただければと思います。
↓↓以下、ネタバレを含むとなります。↓↓
意志は時空間を超える、時空間を作っているのは意志
主人公の2人、三葉と瀧のいる世界には3年のずれがあります。
物語が進むうちに、瀧が知ったのは、彗星の衝突により三葉を含む街の人々が亡くなるという結果。それが見えたときに瀧がとった行動は、なんとか三葉に伝えて、生き延びるよう逃げるよう働きかけることでした。
瀧と三葉はかたわれ時にあの世とこの世の境である場所(次元の異なる場所)で出会うことができ、三葉の行動により街の人々は助かることとなります。
このストーリー展開に一番一番感動しました。
彗星が衝突するという物理法則は避けることはできないものの、意識をもった生命体である人間の行動は、変えることができるということを示唆していると感じます。
「みえてしまった」人がどのような行動を取るのか。そこには、生きてほしいという懇切な愛と、未来を絶対に変えるんだという強烈な意志がありました。
絶望して諦めるのではなくできることに力を尽くす。人としてのあり方とその意志の結集によって未来を変えることができる。
本当に大切なメッセージを伝えてくれていると思います。
そしてそれは、人間的なストーリーとして感動するとともに、本質的には真理でもあると感じます。
なぜ流れる時間に3年のずれがある三葉と瀧が出会うことができたのか。
突き詰めて考えると、時間は人間の脳が作り出した概念です。そして、それは空間も同じ。
平行宇宙の存在や、この世界がマトリックス空間である可能性については、最近各種研究・ニュースでも言われていたりしますね。
つまり、時間が一方通行で流れている「ように」感じている世界に私たちは生きていますが、実はいろいろな時空間が交差する世界に住んでいる可能性があります。
nTechでも、認識した瞬間にこの宇宙が存在すると言っています。
その見地に立ってみると、映画のストーリーを混乱なくとてもすっきり見ることができます。
もしも時空間を自分が作っているとしたら。どんな時空間を生み出すかは意志(人間的な意志とは限らない)によるのです。
事象は忘れるけれど、思いは残る
もう一つ大感動した場面を。
瀧と三葉がかたわれ時に出会ったとき。名前を忘れないようにと手に書いた文字は、結局、名前ではなく『好きだ』という気持ちでした。そしてそれは名前を忘れてしまったあとも手に残る。
名前を覚える=記憶するものは、いつかは忘れてしまう。それほど変わりやすいものです。だけど、出会いの感覚、意志は消えることはない。あの場面はその象徴であると感じます。そして年月が経ってすっかり記憶が消えてしまったあともその感覚によって2人はまた出会うのです。
あのピーンと鳴る感覚は、脳の経験・記憶を超えた新たな感覚と思います。デジャブというか、なんというか。言葉にできない感覚。私自身もよくあります。
単純に、男女問わず出会った心惹かれる人には素直に話しかけてみる勇気をもらいました。そんな交流がたくさん起こったらとっても素敵ですね。
以上が印象に残った2点です。
他にもおばあちゃんの言葉はどれもこれも深いですね。糸の素材との対話や、結んでほどいての表現は、宇宙の仕組みそのものだと感じます。本当にこの映画は、細かな描写が素晴らしく、語っても語り切れません。
そして何より、圧倒的な美しい映像と、劇中歌に心が奪われます。
お読みいただきありがとうございました!
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Written by
チームワークコンサルタント miwa