73年目の8月15日終戦の日を迎えて
今日は8月15日、終戦の日。
平成最後の夏、73年目の8月15日にあたって、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参りました。
今日はただ、日本のために戦ってくれた、たくさんの先人たちを偲びたいという気持ちで、向かいました。
おそらく一年でもっとも、靖国神社が賑わう日なのでは、と思います。
12時すこし前に本殿の前に着き、国歌斉唱ののち参拝し、12時より黙祷。
その後、天皇陛下のお言葉(中継)を聞くことができました。
73年前の8月15日正午は、戦争終結を知らせる玉音放送が流れた時刻です。
厳粛な雰囲気のなか、黙祷することができました。
その後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ。
蓮の葉でいっぱいの千鳥ヶ淵。
こちらには、海外での戦没者のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨が安置されています。献花をさせていただきました。
73年目の夏に感じた想い
気が付くと、今年は、今まで生きてきた中でもっとも、太平洋戦争のことについて、考えを巡らせた夏となりました。
資料館に足を運び、本を読んで、映画を見て。対話のイベントにも参加させていただきました。
膨大な情報をすべて得ることは、不可能ではありますが、さまざまな情報に触れるなかで、感じたことがあります。
国内にいた国民から見た戦争
国外から引き揚げた国民から見た戦争
前線の兵士から見た戦争
軍部から見た戦争
天皇陛下から見た戦争
アメリカから見た戦争
朝鮮から見た戦争
中国から見た戦争
東南アジア諸国から見た戦争
当然もっともっと細分化できます。関わった人の数だけ、それぞれのストーリーがあります。
悲しみ、苦しみ、憎しみ、諦め、国体、未来への思い。
それぞれの置かれた状態を見ていくと、どれも事実ではあるけれど、"それぞれの事実なのだ"という思いが強くなります。
だれかの観点に共鳴し肯定すると、同時に、だれかの観点を否定することになってしまうのです。
かといって、事実データだけを追っていっても、戦争の実態が見えなくなります。
それぞれがそれぞれの立場から、未来を描き、本当に苦しい思いをしながら戦い、結果として、日本の敗戦を迎えました。
特定の誰かが悪者ではないと、私は思うのです。
悪者をあげるとすれば、甚大な被害が出るまで止めることができなかった、人間共通の思考論理です。
みんなで戦争に没入していった事態がなぜ起きたのか?
本当の診断ができないと、形を変えて戦争はまたやってきます。
もっとも悲惨な負け方をした日本。
戦争はどんどん風化していきます。
今こそ日本人として、歴史の構造をしっかり見つめることが必要ではないでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa