映画『怒り』レビュー~人間は感情の生き物である
『怒り』2016年公開・李相日監督作品
ある夏の暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。
窓は閉め切られ、蒸し風呂状態の現場には、『怒』の血文字が残されていた。
犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。その行方はいまだ知れず。
事件から一年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。
自分が愛した人は、殺人犯だったのか…。それでも信じたいと願うが、信じたくない結末が突きつけられる。
決して後味がよいわけではないこの映画。目を覆うようなシーンも多いので、手放しではお勧めしませんが、それでもとても興味深かったです。
『怒り』という感情
自分の過去に対する怒り
相手を信じられなかった自分に対する怒り
世の中の不条理に対する怒り
信じていたのに裏切られた怒り
寂しさ・悲しさ・悔しさ・不信・不安といったものが入り混じり、エネルギー化すると怒りになるのだと思いました。怒りは行動に移る原動力です。
それぞれの登場人物のなかにある感情が、まざまざと描写されていて、途中、息が苦しくなる。。
特に、相手の過去を知らないことによって、どこまで相手を信じられるか?が主軸のテーマに感じました。
人間が、自分が知らない相手の一面があることによって、どれだけの妄想や不信を生み出すかが、非常に恐ろしい。
終盤には、信じていたことに対する裏切りによって、生まれる殺意のシーンも。
感情の生き物である人間
人間社会が、戦争・殺人・争いがなくならないことは、人間が感情の生き物であることの象徴だと思っています。
最近では、人と人との対話が大事だと、聞くことが多くなりましたね。
確かにとても大事だと思いますし、それによって感情がほどけることも大きいです。
でも、どれだけ時間をかけて話しても、その人の人生の"すべて"を感じ取ることは、不可能です。
不信の種は、相手のことを100%は、絶対に理解できない、という人間の命題から、始まっています。
その命題を手放せたときにしか、心の平安は訪れない。このままでは、傷つき傷つけあう構図はなくならない。
その宿命的な絶望が、よく描かれていました。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa