父から母に腎臓を移植することになりました①
母が、指定難病である【多発性嚢胞腎】だとわかったのが、2年前のことです。
多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)
両側の腎臓に嚢胞(液体のつまった袋)ができ、それらが年齢とともに増えて大きくなっていく遺伝性の病気です。
嚢胞が増えて大きくなると、腎機能(血液中の老廃物や水分をろ過、排泄する働き)が低下していきます。
両方の腎臓が、同時に機能低下になっていく病気です。
かなり早い段階から、生体腎移植を勧められていました。父の腎臓のうち1つを、母に移植するのです。移植が間に合わなければ、人工透析となります。
いよいよ母の腎臓機能が、通常時の10%にまで落ち込みました。ここ1年は、横ばい状態が続いています。
その間、父は、健康な腎臓を提供するために、運動をして飲酒を制限するなど、身体の各種数値をよくする努力を求められていました。
数値が少しでも基準を下回っていると、手術にOKが出ません。父は、ときには担当医に叱られながら、励んできました。
私自身、手術の事前説明を聞きに行き、よくわかったことがあります。
現代医療の医師という職業は、結局のところ、目に見える病態と、検査の数値と、患者やドナーからの証言しか判断材料がないということです。
これは、かなり不安定要素の高い材料です。
まず、患者の証言は、必ずしも事実を発言しているとは限りません。嘘をついたり、正確でないことも多いのです。
実際、父は、申告する飲酒量をごまかしていました。どうしようもない父です。
だからこそ、検査数値を重視するのは、そういうこともわかった上でのことでしょう。移植後にドナーに何かあっては、手術成功率の数字に響きますからね。しかし、検査数値が出る経緯(実際の生活習慣や、心理状態)については、医師は確認することはできません。
つまるところ治療というものは、患者やドナーがどれだけ向き合っているかの意思次第だということが、よくわかりました。
尊敬する医者であり、友人の長岡美妃先生という方がいます。
彼女はかつて外科医でがん手術に携わっていたのですが、以前このように語っていました。
『神の手と言われるような名医が、がん手術を執刀して、本当にきれいに腫瘍を切除した。
それでも、再発して戻ってきてしまう現場を、何度も目の当たりにした。
なぜ病気は発生するのか。
その人自身の、目に見えない奥深くにあるアイデンティティの認識に勝負しないと、病気の根本解決はできない。』
本当にそのとおりだと思います。自己認識がうまく循環しないから、腫瘍という目に見える形で知らせてくれるのが、病気なのですね。
とはいえ、西洋の現代医療も、対処療法として活用するには素晴らしい技術です。
母の腎臓の機能が10%に落ち込んでしまった今、まずは信頼して移植をお任せするのがよいと思います。
長い期間をかけて、なんとか父の数値も整いました。
いよいよあと一週間後に、2人は腎移植を受けます。母は数日前より大学病院に入院しました。
私は見守る立場として、安心して手術に臨めるような会話を心がけています。
次回は、今回を通して知った腎移植の動向や、人生について思うことを、書いてみようと思います。
長岡美妃先生のブログです。
本質を追求している侍のような女医さんです。ぜひ彼女の発信に触れてください。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa