茶道がつなぐ和心・悟り②~映画『日日是好日』の感想
みなさん、茶道ってされたことありますか?
私は一度も機会なくここまで来たのですが、最近、立て続けに、茶道に触れる機会がありました。
そのお話を、4回に分けて書いています。
前回のお話は、映画『日日是好日』初日舞台あいさつレポートでした。
映画『日日是好日』の感想(ネタバレ)
季節のように生きる。
雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見て、
夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。
”お茶”の魅力に気付き、惹かれていった女性が体験するのは、静かなお茶室で繰り広げられる、驚くべき精神の大冒険。
~ポスターより
「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」
何も知らなかった主人公が、茶道を通してどんな境地に到達するのかが、この映画のひとつの見どころです。
主人公は最初から最後まで茶室に通い続けます。
そのなかで、意識の変化・内面の変化が起こっていきます。
はじめは、すべての動作や道具を「何のためですか??」と質問していた主人公と従妹。二人に対して、お茶の先生である武田先生は、一蹴するんですね。
「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」と。
お茶の動作は、多種多様です。順番も決まっています。だから、実際には、ひとつひとつに意味があるものでしょう。
でも、その意味を考えながらやってしまうと、茶道の美学に背くことなんですね。
「意味なんてわからなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」
これが、もっとも感動した台詞でした。
型を通して、ただやる。それに集中することによって、到達したことのない境地に行けるのだと。
実は、私自身は、もともとは、意味・価値をとても重要視する人です。「やる意味がわからなければ、やりたくない」とまで思っていたほど。
でも、この"意味価値中毒"(あえて中毒と呼びます)によって、 自分の行動が遅くなったり、逆に考えすぎてやれなくなったりすることもまた、多いのです。
現代人は、情報が多すぎるため、「やる意味あるのか?それが何の結果につながるのか?」といつも考えてしまいます。それが、この社会で成功するための思考要素だからです。
でもそれって、ある意味、自分を制限するものだと、今の私は思っています。
ただ感じる、ただわくわくする。考えから自分を解放して、自由に。
「あぁ、やはり茶道はその境地なんだ。日本の文化は、そっちなんだ。」
そうわかったことに、とても感動したのでした。
季節に感じる日本の美学
本作では、二つの時間が流れている。一つは典子が成長する時間である。(中略)もう一つの時間は、一年の季節を24に分けた”二十四節気"である。典子が成長して行く直線的な時間の流れと、毎年繰り返される円のような二十四節気の時間の流れが交錯しながら、やがて典子は”日日是好日”という言葉の本質に気づいていくのだ。
~公式サイトプロダクションノートより~
本映画で非常に印象的なのは、さまざまな季節の風景が、繊細に描かれていることです。春夏秋冬。季節の移り変わり。
梅雨どきと秋では、雨の音が違うこと
掛け軸の「瀧」という文字をみて、瀧の音を聞くこと
冬のお湯の「とろとろ」という音と、「きらきら」と流れる水音の違いを感じること
主人公の典子がひとつひとつ発見するたびに、感覚が研ぎ澄まされていきます。
日本の美の感覚というのは、本当に繊細で美しいものなんだと、息をのみました。
変わらない茶道を通して、個人の考えを卒業して、繊細な変化を感じ取れる感覚を磨く。
茶道は、本当に奥が深いです・・・
武田先生から感じる本当のおもてなし
武田先生の深い愛情も、この映画の見どころです。
武田先生はお茶の生徒さんに対し、決して強要しません。でも、常に生徒さんを想っています。掛け軸の選び方ひとつも、深い愛情があらわれています。
お稽古に来ないと連絡があったときでさえも、典子を想って掛け軸をかけておく。そして実際に典子が来る。その掛け軸と出会い、また典子は変化する。
本当のおもてなしとは、何なのか。
期待しない、我がない。
ただただ、愛があるだけの状態。
まさしく「おもてなし」なのですね。
ぜひ劇場で観てほしい
最後に予告編の動画です。まだ見ていない方はぜひ劇場でご覧いただきたいです!
大スクリーンだからこそ、観客自身もまるで茶室にいるかのように、季節をたのしむ感覚を味わえますよ。
映画に感動した勢いそのままに、岡倉天心著『茶の本』を読みました。
次回は、本を読んで発見した、茶道と和心・悟りについてのお話を書きます。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa