茶道がつなぐ和心・悟り③~岡倉天心(覚三)著『茶の本』
みなさん、茶道ってされたことありますか?
私は一度も機会なくここまで来たのですが、最近、立て続けに、茶道に触れる機会がありました。
そのお話を、4回に分けて書いています。
前回までのお話は、映画『日日是好日』の感想でした。
岡倉覚三著『茶の本』を手に取った。
映画『日日是好日』では、茶道の奥深さに触れました。
その日からちょうど1週間後、茶道体験と読書ワークショップのコラボイベントへの参加が予定されていました。
その課題本がこちら。
岡倉覚三著 村岡博訳『茶の本』(初版1929年)
岡倉覚三本人が書いた原本は、アメリカで出版された『The Book of Tea』です。
『The Book of Tea』は1906年、ニューヨークで出版されました。
著者の存命中は、日本語へ翻訳されませんでしたが、没後、天心の弟・岡倉由三郎の弟子、村岡博によって1929年に翻訳されました。
『茶の本』とありますが、お茶の入れ方の解説書ではありません。
日本の茶道を欧米に紹介しながら、西洋文明とアジア文明を比較している芸術論、思想論と言ってよいものです。
英米人にも広く読まれ、フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデンなどにも翻訳されています。
英語で書かれた日本の書といえば、新渡戸稲造の「武士道」。
同じ明治期に日本人が英語で書いた著書として、この2つが知られています。どちらも日本人の精神性をよく書いた、名著です。
『茶の本』でわかる茶道の和心・悟り
本では、茶道とは、道教と禅の影響を受けて完成したものとあります。
二つとも、真理を伝えるための人間の向かう方向性を、人々に説いたもの。
「第三章 道教と禅道」では、その考え方を紹介しています。また「第四章 茶室」では、その考え方が、いかに茶室に反映されているかが書かれています。
道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。
彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。
真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。
とあります。
ここは、概念が少し難解かと思いますが、わかる人にはおおっとなるのでは。
茶室では、観る人(認識主体)と、なかの物たち(認識対象)と、茶室(背景)をもって、完成されるそのプロセスを楽しむということだと捉えました。
つまり自分意識と外の世界がすべて繋がって認識することで、完成できるということですね。
簡素であるからこそ究極の美に没入できるのが、茶道です。
最終章では、茶道を完成させた千利休の自害の最期を紹介して、本は終わります。
決して読みやすい本ではないですが、非常に読みごたえのある本でした。
村岡博版は青空文庫にもなっていますので、無料で読めます。ぜひどうぞ。
『茶の本』は翻訳本がいろいろあります。
実は、『茶の本』の翻訳本は、村岡博訳だけにとどまらず、たくさん出版されています。
村岡博版は、少し表現の激しさを感じるところがあります。
とくに冒頭のはしがきと、第六章 花において、そのように感じました。
村岡博版は、1929年発行。昭和4年です。
日露戦争(1904-1905)・第一次世界大戦(1914-1918)を経て、すでに日本は、満州への領土を拡大していたころ。
この年、アメリカのウォールストリートで株の大暴落が起こり、大不況になります。そのため、自由貿易をやめ自国だけで経済をまわすブロック経済に入ると、他の国も自分の国を守るため、貿易をなくしました。そこから世界中が大不況にみまわれ、戦争の足音が聞こえはじめる時代。
そのような時代背景のなか、欧米で日本文化の精神性を紹介しているこの本を、日本国内に、翻訳して広めたい。
そう思った村岡博の観点を通した、The Book of Teaであることを理解すると、多少の表現の荒々しさも納得ができます。
他の訳者によるThe Book of Teaの読み比べも、面白いですよ!
さて、茶の世界の奥深さに心惹かれた私は、いよいよ茶室体験へまいります。
次回は、そのお話へ。
お読みいただきありがとうございました。
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Written by
チームワークコンサルタントmiwa